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2ちゃんから泣けるコピペ。
親孝行しなきゃな。
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
私の祖父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で祖母がせわしなく動いていた記憶があります。
私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。
幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。
俺がまだ小学生だった頃、どうしても欲しかったオモチャを万引きしたら見つかって
それはもう親にビンタされるは怒鳴られるはでメチャメチャに怒られた。
それから暫らくして俺の誕生日が来たんだけど、
その時に両親が俺にくれたプレゼントがその時万引きしたオモチャだった。
「お前これ欲しかったんだろ?」と母親が言ってくれたとたん俺は泣いた・・
家貧乏だったのに多分無理して買ってくれたんだろうな・・
あれからもう15年くらいたったけど、今でも忘れられない思い出になっています。
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。
親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。
横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。
両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に
家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。
その次の日、母は入院。
あっという間に亡くなった。
葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ
母が作った高野豆腐があった。
大泣きしながら食った。
あれ以来、高野豆腐は食べられない。
1年前、機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」と遠慮気味に相談してきたが、
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」
とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて
何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・
涙が止まらなかった。
仕事が辛くて辞めたいと母さんに言ったら、
はっきりとは言わなかったけど辞めてほしくなさそうだった
ちょうどそんなころ母さんにガンが見つかって手術をした
でもすぐに再発、転移して1年後には死んでしまった
母さんに荷物を整理していたら、大切のものとかかれた箱が見つかって
開けてみたら1500万の貯金と、「仕事が辛かったらやめても良いよ」
と書かれた紙が入っていた
仕事はもう少し続けてみるよ
家は貧しくは無いけど裕福でもない、そんなどこにでもある家でした。
小学生の頃、当時テレビでやってた○○レンジャーの合体ロボが
どうしても欲しくて欲しくて
その気持ちを秘めながら毎日を過ごしてた。
だから誕生日に、おもちゃ屋でその合体ロボをねだった。
でも、やっぱ高価だったこともあってカーチャンは渋い顔をしてた。
「そっかー。これが欲しいのかー」って言いながら、
何度もサイフを確認してたと記憶してる。
俺はその気持ちを察して、こっちのブロック(2000円くらい)も
同じくらい欲しいからこっちが良いって言って
そっちの安いおもちゃを誕生日プレゼントとして買って貰った。
5年前の8月、夏の暑い日にカーチャンが死んだ。眠るように死んでいった。
死んだ後、家族みんなでカーチャンの遺品整理をしていたら
引き出しの中から手紙を見つけた。
その手紙は家族全員に一言ずつ書かれてて、俺には
「あの日、困ってたカーチャンの気持ちを察して
安いおもちゃにしてくれてありがとう。その気持ちを忘れないで。
本当はもっと贅沢させてあげたかったよ。ごめんね。」
と書かれていた。涙が止まらなかった。
親孝行しなきゃな。
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HN:
自信会
性別:
非公開
職業:
様々
趣味:
もちろん、ゴルフだよな?
自己紹介:
2006年和歌山県に誕生した馴れ合いゴルフ部。まともに活動しているのは部長と管理人だけ。副部長は只今社会復帰中。「とにかく100をきらなきゃ話にならない」という部長が立てた目標に向けて、仕事の合間をみて練習中。現在は部長は120、副部長は130、管理人は140あたり。果たして100をきれる日が来るのだろうか? てか、ゴルフしてる暇があんのか? それでも、負けるな自信会! 頑張れ自信会!!
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